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    父が最後の手術の頃、全国を演奏していた仕事先に辞表を出しました。

    それは夢があり、楽しい影絵と室内楽での舞台のお仕事でした。色々なホールで弾きました。

     

    小さい時から、親の死に目に会えない仕事だと覚悟するように言われて来ましたが、私が大学の時に倒れてから社会復帰ならず、自宅療養してきた父の最後の手術という時に、地方に演奏で行っていたら何かあった時には戻れないと思い、日帰りでの舞台だけに調整、地方公演に辞表を出しました。

     

    その後、父が車椅子生活になるとわかり、ピアノしか弾けない私は焦り、介護の勉強をし、身体的なお世話をして父が大好きな家で最後迄過ごせるように、資格も取りました。

    しかし、すぐに父は召され、私は父に何一つ出来ませんでした。

     

    心にぽっかり穴が開いてしまい、ピアノを弾いていても虚しく感じ、決して父の為に弾いてきたわけではなかったのに…です。

    こんな気持ちは初めてでした。

    資格を取った後に、一年はその企業で仕事をする条件でしたので、父がデイサービスに行っている間なら…とペーパードライバーと同じにならずに忘れずに、いざという時には頭も体も動くと考え、お手伝いに行っていたのです。

     

    父が集中治療室にいる間、その時の利用者様にに励まされ、お手伝いに伺っている筈なのに、私の方が支えて頂き、慰められました。

    父亡き後、空を見上げながら、「何処にいるの?」と涙を流しながら、利用者様のお宅に伺い、ベルを鳴らす前には涙を拭う状態でしたが、一歩お宅に上がると、父がいるかのように待っていてくださり、母のように温かく接してくださり、又利用者様のご家族様にも、良くして頂いて、家族ってこういう感じなのかと楽しく、心の穴を埋めて頂きました。

     

    介護という仕事を目指して勉強し、資格を取り、働いている介護士の方々の、他者を思う気持ちにも感動し、その仕事の姿勢から学びがあり、この仕事の深さと尊さを知れば知る程、介護について何もわかっていなかった、凄い精神でないと出来ない仕事だと気付きました。

     

    お宅への訪問だけでなく、施設では、素敵な入居者様との出会いや施設長様、事務局、スタッフ、看護師、業務の方々の素晴らしい仕事振り、連携、スタッフの人間性に出会い、感動し、楽しく充実し、あっという間に12年が過ぎました。

     

    そして、演奏で人を幸せにする、身体や生活の援助をして幸せにする、手段が違うが、同じこ とをしている、同じ精神だと解ったのです。

    ヘルパーの友人から「この仕事は、お父様からのギフトなのね」と言われて、父が私にこの資格を取得し、学びを得る様にしてくれたのだと納得でした。

     

    音楽で何をするのか、その答えを教えてくれたのが、介護の仕事でした。

     

    丁度、子育ても経済面で一番大変な時期、そしてコロナ!音楽家はとても大変、シングルでしたので、そんな状態の中、副業は有難い事でした。

     

    思い出深い横浜市青葉区から、小平に移転した後も、スタッフの方達に会いたくて一緒に働きたくて通いましたが、コロナで横浜と国分寺の拠点の兼務が不可能になり、自分と愛犬の歳を考えて、泣く泣く一年半続いた青葉区藤が丘通いを終えました。

     

    イースターには、磯先生と、アリソン先生の教えから、副業にピリオドを打つことを決心し、音楽とスピリチュアルの仕事に専念すると宣言しました。

    横浜の利用者様、入居者様、この仕事をしなかったら出会えなかったスタッフから、人生の最終章の生き方を教わり、舞台生活での演奏と共に、介護体験により、人という財産を得た私の人生の“宝の時期”となりました。

    お一人お一人が、生き方のお手本です。

    そして、豊かな文化の中で、何よりも最後まで健康で自立している事が大切だと解りました。

     

    私は、師と人に恵まれています。

    恵まれて、得てきた事を、これから更に社会にお返しする、愛の循環をさせていきます。

    人生の最終章、セルフラブ=自分を愛して、人を大切にして元気に楽しく生きるので、応援してくださいね!

    前進!💫新しい自分!💫新しい生活!💫

    人に感謝、宇宙に感謝💐

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    同じヒーリングの同期の受講生で、スピリチュアルライフコーチである練習相手の友人が、「はいっ!前進ね!」と、お祝いに優しい色合いの綺麗な花束を持ってきて下さいました。